≪山本殖産グループ 沿革≫ | ||
天明5年(1785) | 名古屋城下の末廣町(現・名古屋市中区栄2丁目)において、三河国より分家してきた初代・山本権次郎が算盤や 雑貨の製造販売を行う「森岡屋」を創業する |
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幕末期 | 綿布部門を創設 綿生地を使用した「厚司織り」を主力に全国的に商売を拡大 |
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明治29年(1896) | 滝川家所領であった滝川山(現在の昭和区滝川町内)の八町六反八畝拾八歩(約26,000坪)分を購入 | |
明治34年(1901) | 5代・山本権十郎により、テニスラケットの製造販売が開始される(主に東南アジア輸出向け) その後、運動具用品全般の取り扱いに発展 |
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明治43年(1910) | 生地製品部門を「森岡屋」、運動用品部門を「山本商店」、不動産部門を「山本殖産会社」に分社化して、業務の 効率化を図る |
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大正11年(1922) | 滝川山の山頂付近に、私費を投じて名古屋初の本格的野球場を建設 当初は「山本球場」と呼ばれる(面積:2800坪 収容人数:2000人) 完成記念として、早大野球部の現役選手を招待して,地元実業団チーム「スターズ」と模範試合を行う |
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大正13年(1924) | 山本球場において、第1回全国選抜中等学校野球大会が毎日新聞社の主催にて開催される(5日間) (現在の高校野球・春の選抜甲子園大会) |
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昭和11年(1936) | 山本球場において、第1回巨人対阪神戦が開催される | |
戦中・戦後 | 綿布業を停止し、森岡屋を解散する 昭和20年3月の名古屋大空襲により、土蔵1棟を残して社屋家屋が全て焼失し、バラックからの再出発となる |
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昭和22年(1947) | 戦時中に木材を接収する為にスタンドは解体され、グラウンドは芋畑になっていた球場を、国鉄に無償貸与し、 名称が「国鉄八事球場」となる(その後、国鉄に売却) |
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平成2年(1990) | 運動具部門を廃業し、不動産業専業となる |
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現在 | 「山本殖産株式会社」へ組織変更し、現在に至る 名古屋市内を中心に賃貸マンション、各種駐車場、事業用借地の運営を行う |
商 号 | 森岡エステート株式会社 | |
所在地 | 名古屋市昭和区滝川町47-1 ウッディプラザ八事3F<地図> | |
設 立 | 平成5年12月 | |
代表者 | 山本宗平 | |
資本金 | 100,000,000円(2017年現在) | |
事業内容 | 不動産管理業 リフォーム事業 不動産賃貸業 不動産仲介業 | |
取引銀行 | 大垣共立銀行 本山支店 三菱東京UFJ銀行 東支店 | |
関連会社 | 山本殖産株式会社 | |
加盟団体 | (公社)愛知県宅地建物取引業協会 (公社)全国宅地建物取引業保証協会 (社)全国賃貸不動産管理業協会 |
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≪森岡エステート 沿革≫ | ||
1993年12月 | 一部不動産賃貸業を分業化するため、新たに「森岡株式会社」を名古屋市東区に設立 | |
2006年 | 社名を「森岡エステート株式会社」に変更 業務をグループ全体の不動産管理に発展させる |
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2007年6月 | 事業を管理業務請負業へ発展させ、名古屋市昭和区に営業部を設立 | |
2009年3月 | 業務効率化を図るために、本社を営業部に合流させ統合 | |
2015年2月 | 宅地建物取引業者免許を取得 |